はじめに

このブログはNPOちいおりトラストのメンバーが書いているものですが、あくまで個人のブログです。 ちいおりトラストとしてのブログではありません。 一応気を付けてはいますが、もし誰かの気分を害したりするようなことを書いてしまった場合、苦情などは僕個人に対して発してください。 
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一応祖谷の自然に関して書いていくつもりだけど、けっこうそれ以外も・・・ 
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2011年5月10日火曜日

住む場所

最近よく思うのだが、日本人は土地に縛られている。 祖谷の多くの人達は、祖谷がいい場所だと思っていないし、出来ることなら祖谷から出て行きたいと思っているように見える。 でも何故か出ていかないし、土地を手放さない。 どうも出て行かないというより、出て行けないという感覚を持っているようなのだけど、話を聞いても(少なくとも僕には)何故だかわからない。 

以前アメリカであったギリシャ人が言っていたことを思い出す。 彼は仕事や学校は、街で選ぶという。 仕事や学校で過ごす時間は限られているから、プライベートで過ごす時間のほうがずっと大事だと言っていた。 こういった話は日本ではあまり聞かない。 多くの日本人は住んでいる場所に対して「仕方が無く」住んでいるという感覚を持っているように思う。

最近よく思うことのもう一つが、日本と比べてヨーロッパの街のほうが景観が美しく思えるのは、この感覚の違いが理由の一つではないかということ。

ヨーロッパ人は、自分が気に入った街に住む。 好きでそこに住んでいるのだから、多少の不便があっても景観は守ろうとする。 景観が損なわれてしまってはそこに住んでいる意味がなくなってしまう。 それに対して日本人は住む場所を選ばない(選べない?)。 「仕方が無く」そこに住んでいるのだから、せめて便利にしようとする。 景観を守ろうとすると、住民の暮らしのほうが大事だと言ってくる人達が出てくる。 

日本以外でもこういった住民と景観・環境保護の対立はあるのだが、日本においてはちょっと問題が異質な気がする。 他国の場合、住民同士でも対立が起きる。 住民の多くが景観を守ろうとするから。 そして景観を守ることで観光業を通じてお金を稼げるようにすれば大抵問題は解決とはいかなくともとりあえず収まる。 しかし日本では、お金に繋がると言って収まるということをあまり聞かない。 

皆もっと好きな場所に住んでもいいんじゃないだろうか? もっと本来の意味での個人主義で生きてもいいのではないだろうか? そう思うのは僕だけなのだろうか?

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2 件のコメント:

  1.  ちょっと話はずれるけど、
    昔、知り合いが言ったのですが
    「お上(政府)は住民の移動を嫌う。」

    移動に伴う事務手続きが煩雑すぎる気がします。
    子供の転校とかからむと、もう大変なことに。
    転出転入も、今どきなんだから、
    どちらか一方でもいいじゃないとは思いませんか?

    やはり、移動されるの嫌なのと違う?

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  2. 移動されるのが嫌なのか、移動しないのを前提に仕組みが出来ているのか・・・ どっちにしろ余計に動かなくなるよね

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