以前ちょっと、なんで日本では景観があまり守られないか考えたことを投稿した。
http://chiiori-ken.blogspot.com/2011/05/blog-post_10.html
その時は、日本人は基本自分の土地から動こうとしない(動けない)から、その土地の景観を大事にするよりもとにかく住み心地をよくしようとするのではないか、と思った。
最近ちょっと話をした日本の国交省関係の人によると、そうではなく、ヨーロッパの法律では基本土地や建造物などは手を加えてはいけないのが原則で、そこから法律でこれはしてもいい、あれはしてもいい、といった感じでできることが増えていくのだそうだ。 日本は逆に、個人資産は所有者の完全な自由が原則で、そこからこれをやってはいけない、こういうことはだめ、と法律で規制していく形なのだそうだ。 だから規制を増やすには相応の理由がなければならず、なかなか景観を守れない、とのこと。
事実関係はよく知らないし、アメリカとヨーロッパでもかなり違いそうではあるけど、そういうこともあるのだろう。 ただ、やはりこれはあくまで法律面から見たことで、確かに役所の人間から見ればそうなのだろうけど僕から見るとやはりそこは問題の根幹ではない気がする。 規制をしなければ景観は守れない、景観を守る規制は通りにくい、という話になっている時点でもうすでに一般の人々は景観に対してあまり価値を見いだしていない、ということになるのではないだろうか。
ついでに、もしヨーロッパやアメリカでも法律が同じようでも、もうちょっと景観は守られるのではないだろうか? 土地に縛られないということは、土地も家も将来誰かに売る可能性が常にあるということ。 あまり景観を壊してしまってはその土地や家の価値も下がってしまう。 もちろん景観との一致が金銭的価値に繋がらないのでは関係ないのだろうけど・・・
関係ないけど、最近あんまり写真撮ってないなー
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法律もちがうのですか?
返信削除そういえば、フランス人の友達の家(パリ)に
遊びに行った時に、
規制があって大変と言っていた。
たとえば庭の木、(たぶん大きいもの)
枯れたらば申告して
似たようなものを植えなければいけない。
お金はだれが払うかは不明だけど、
所有者も出さなければならないようだった。
フランス人のことだから、
いやだったら法律変えるだろう。
(ちょっと参考までに。)
フランス人なら本当に嫌なら法律変えるだろうね。 法律は、あくまでも直接的な理由ではあっても根本的な説明な気がしない。
返信削除さらについでに、例えば田んぼに醜いと言ってもいい看板を置くと、その土地の所有者だけでなく近所の人々にも景観価値の減少ということで言ってしまえば公害がでているわけだが、そのことへの考慮もあまりない。 どの本だったか、日本の文化には公共という概念が無いと書いてあった。 個人の自由かそうでないかでしか考えていないというのはそういうことなのかな?